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早苗A

「う」と、早苗は思わず声を漏らした。暦の上ではもう春だと言うのに、開けた引き戸から入ってくる空気はまだ冷たい。三月初めの早朝、空はまだ暗い。掃除などさっさとやるに越したことはないな、と思いながら早苗は薄闇の境内に歩み出た。巫女装束の上に毛…

内藤の話 - 毒男パート

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鷺沢タケシはいつも一人でいることを好んでいた。消去法的にその性向が培われていったのが、彼にとってもっとも心楽しかった大学での数年間であることは間違いなかった。その数年間のうちにタケシは多くの元友人たちと自然に疎遠となるとともに、内藤カケル…

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耳に痛いアラームを乱暴に止めて起き上がった。早朝帰ってきて寝たはいいが、午後から予定があるせいで満足に眠ることもできない。腫れぼったい瞼を無理やり開いて、とりあえず眼を覚ますためにシャワーを浴びに行った。 肩に熱いくらいのシャワーを浴びなが…

新説:北風と太陽

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童話で、北風と太陽は旅人の服をどちらが早く脱がせられるか競争する。北風は冷たい風をぴゅーぴゅー吹かせるが、旅人は帽子と外套を強く押えて服を剥ぎ取らせなかった。次に太陽が暑い日ざしを照り付けると、旅人はひとりでに服を脱ぎ始めた。発想の転換、…

春を望む

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おまえは何をしてきたのだ?故郷が僕にそう言っていた。僕がそこに降り立ったとき、風の声を使って、故郷は優しくそう問いかけた。いろいろなことがあった。頭の中をぐるぐると言葉が駆け巡り、結局なにも返事をしないまま僕は家路についていた。 僕には失っ…

或る授業風景

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彼は盛んにどもりながら答え続けた。「朝鮮侵略」と言いかけて「朝鮮出兵」と言い直し、あのーあのぅと6回も繰り返した。そして満足のいく回答をし終えると、彼は誇らしげに目の前のペットボトルを開け、彼の他の愚鈍な生徒のために補足を述べる教授の後姿…

広場、元カノ、元カレ

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大学構内にぽっかりとした緑の空間が開いているところがあった。芝の植わった広場の中心には一本の大きなカシの木があり、初秋の今、ふらふらしている学生の気を引いている。これといった理由もなく有沙が木陰に足を向けたのも、つまりはそういうことだ。た…